11月18日、高山市民文化会館で開催される創立50周年記念演奏会は、企画も曲目も演奏も、全てがスペシャル
吹奏楽の世界的大家ヤン・ヴァンデルロースト氏が同団のために書き下ろした新曲が初披露されるほか日本舞踊やミュージカルとの共演など、意欲的な試みが満載です。
音楽好きな市民が集って半世紀
演奏会直前、楽団の軌跡や団員たちの想いを追います


音楽好きが集まり高山で生まれて半世紀


▲高山市民吹奏楽団 新名敏泰さん


▲第一回
高山市民吹奏楽団定期演奏会
(高山市にあった映画館 有楽座にて)


▲デンバー市庁舎前にて
(後ろはコロラド州庁舎)


▲飛騨センター
オリジナルミュージカルでの演奏


 管楽器を主体に打楽器などを加えて演奏される吹奏楽は、中学・高校の部活動でもお馴染み。
50年前、高山市民吹奏楽団を立ち上げたのも、学校の部活で吹奏楽に親しんだ人たちでした。
その中心は、斐太実業高校(昭和48年農工分離により現高山工業高校、斐太農林高校(現飛騨高山高校)となる)の卒業生たち。
創立時からの団員である新名敏泰さんは、次のようにふり返ります。
「斐太実業高校のブラスバンド部は、前回の岐阜国体(1965年開催)に向けて創部され、中学でブラスバンド部だった私も入部しました。
みんなで演奏することが楽しくて、卒業・就職後も母校やコサカ楽器(高山市本町2)で練習していたんです。
コサカ楽器に集まっていた音楽仲間が1968年に結成したのが高山ウインドアンサンブルで、それを母体に、翌年、高山市民吹奏楽団が発足しました。
当初のメンバーには斐太実業高校や高山高校(現飛騨高山高校)の卒業生が多く、指導してくださったのは斐太実業高校の田中晃先生。
週一回、コサカ楽器の会社の一室をお借りして練習し、当時、高山市にあった映画館の有楽座で演奏会も行いました」。
 楽団には音楽好きの市民が集い、やがて結婚・出産した女性団員が子連れで練習に来るようになり、練習場に子どもがいっぱいという時代もあったそうです。
その子が大人になって入団し、親子で団員という人も少なくないとか。
とはいえ、50年の間には、危機的な時代もありました。
「全員が社会人なので仕事で練習に来られないことも多く、30年程前には数人しか練習に集まらないような状況もありましたね」と新名さん。
自主的に参加している私設市民楽団は、集まること自体が至難の業。
また、現在の練習場所である飛騨・世界生活文化センターが無かった時代は、夜間に音が出て大人数でも大丈夫という練習場の確保も難しかったのです。


3回の海外公演に一流奏者との共演も

▲高山市民吹奏楽団
理事長 大萱真紀人さん

 現理事長の大萱真紀人さんが、上京以来長らく離れていた高山に戻ったのは、その頃。
久しぶりに訪ねた楽団が、斐太高校の吹奏楽部時代に接した頃よりもひっそりとしてしまったことに寂しさを覚えたそうです。
一時は東京で音楽の道を目指していた大萱さんは、楽団の一員となり、その後、谷口前理事長からバトンを託されました。しかし、1991年の定期演奏会は1200部刷ったプログラムが1000部近くも余り、動員も奮いませんでした。
「悔しくて、残ったプログラムを捨てられませんでした」と当時をふり返ります。


「25周年に向かって何をすべきか」を仲間と一緒に語り合い、再出発を模索した大萱さんたちは、地元出身の音楽関係者のネットワークをたどって、「吹奏楽ポップスの父」と呼ばれた作編曲家の岩井直溥先生をゲストコンダクターとし、憧れの存在であったホルン奏者の倉野昌三先生を初代音楽監督として招くことに成功。
世界レベルの指導者を得て、団員の士気は上がり、登録団員数も倍増して、2年後の25周年の演奏会場は立ち見が出るほどの盛況となりました。
さらに、翌々年の1995年には、高山市の姉妹都市であるアメリカのデンバーで初の海外公演を実現。
遠征は2000年と2004年にも行われ、計3回デンバーで公演を行ったのです。
 楽団が停滞を乗り越え、海外公演まで成功させることができた理由について、大萱さんは、「素晴らしい先生方の指導を得て、音楽と真摯に向きあい、チャレンジを続けてきたからでは」と分析。
「アマチュアでも、高度な刺激を受けて上達できた方が楽しく、楽団や地域にとってもプラスになる」と語ります。
ちなみにデンバー公演は、仲間内で出た「海外公演ができたらいいね」という話を市役所などで話したところ、賛同者を得て計画が始動。
団員は2年前から旅費を積み立て、公演を目標に練習を重ねて夢を実現しました。
デンバーではプロの吹奏楽団、デンバー・ムニシパル・バンド(DMB)との共演を果たし、大萱さんは演奏後のスタンディングオベーションに涙が止まらなかったと言います。
言葉も充分に通じず、はじめは合同練習で冷ややかだったDMBの楽団員たちとも、最後は抱き合って喜びを分かちあい、音楽は世界共通語であることを実感したのです。
 それから、30周年、40周年、50周年と歴史を重ねてきた高山市民吹奏楽団は、サマーナイトジャズや飛騨高山ヴィルトーゾオーケストラコンサートなど世界の一流奏者との共演も多く、飛騨センターのミュージカルや「こだま〜れ」をはじめ、地元の文化・スポーツ・交流などのイベントに欠かせない存在として、高山の音楽界を牽引。
また、横浜公演など、活躍の場は地域を越えて広がっています。
スタートから今日まで、楽団の歩みの全てを知る新名さんは、「20〜70歳を越えた年代が仲間となって共通の話ができるのは、音楽だからこそ。
年齢の層の厚さがハーモニーにも表れるのか、妙に音が合っていい感じになる時がありますね。
上手な人が多くて勉強させてもらえるので、ありがたい。
楽しくて続けている間に50年以上が過ぎちゃった」と快活に言って、笑いました。

米づくりの新時代を拓く、素人農園の挑戦!

▲名古屋芸術大学
芸術学部教授 竹内雅一さん
高山市民吹奏楽団 音楽監督

 

 楽団の音楽監督は、初代倉野昌三先生から、超一流のサキソフォン奏者・指揮者で洗足学園音楽大学教授の池上政人先生の時代を経て、現在は名古屋芸術大学芸術学部教授で、元セントラル愛知交響楽団のクラリネット奏者であった竹内雅一先生です。先生方の温かい指導によってメンバーひとり一人に音楽の技術とハートが育まれ、楽団は高みに導かれていきました。
大萱さんは、「今日の楽団があるのは、歴代の先生方に教えていただいたお陰です。
また、たくさんの音楽家の方々が、さまざまな形で指導・サポートしてくださり、本当にありがたい」と感謝します。
 三代目音楽監督の竹内先生は、飛騨センターのミュージカルでも長年音楽監督を務めている高山通で、高山市民吹奏楽団を次のようを評します。

「楽団には楽しむことに主眼を置くタイプと、コンクール出場に向けてレベル向上に励むタイプがありますが、ここは、みんなが楽しんでいて、なおかつレベルが高い。
先代の先生方が指導されていた頃からのクオリティーが維持されていると思います。
アマチュアの市民楽団とはいえ、レベルの高いバンドです。
演奏のノリは、私が見ている大学の楽団以上かもしれません。
昔から、一流のプロの指導を仰ぎ、さまざまなゲストと交流してきた賜でしょう」。
先生はデンバーの市長が高山市を来訪した際、その歓迎式典の場で国歌を演奏したのが高山市民吹奏楽団であったことにも驚いたそうです。
「通常は公共の吹奏楽団が呼ばれることが多いと思うのですが、アマチュアの市民楽団が重責を担うのは、それだけ、この楽団が地域で認められているのだと感じました。
私自身、その式典でタクトを振らせていただき、貴重な経験になりました」と語ります。
 今回、先生は個人的に親交のあるヤン・ヴァンデルロースト氏に高山市民吹奏楽団のためのオリジナル曲の作曲を依頼されました。
それに快く応えてくださった同氏は、以前から何度も高山を訪れ、楽団ともたびたび交流してきた方。
楽団の力量や個性を理解し、高山を肌で感じて創られた曲には、同氏が受けとった高山の多彩なエッセンスが盛り込まれていると言います。
「演奏会が世界初演となるので、ぜひ、会場で聴いてください。
きっと高山の音が伝わると思います。
“響≠ニいう字は“郷の音≠ニ書きます。
音楽と風景には通じ合うものがあり、特に若い人には、ふるさとが奏でる音を覚えていて欲しい」と、先生。
ふるさとの音がちりばめられた音楽を、地元の市民楽団が演奏するわけで、それはまさに郷の音。
当日の演奏が楽しみです。
100周年の響きを生み出す次世代のハーモニー

 

▲高山市民吹奏楽団 田中遼さん


▲高山市民吹奏楽団 石神莉緒さん

 

 

 50周年記念演奏会では、新曲披露の後も新鮮な企画が続きます。
「カルミナ・ブラーナ」という曲目では、吹奏楽と日本舞踊とミュージカルが共演。
吹奏楽に合わせて日本舞踊家の花柳琴臣さん、ミュージカル女優の渡辺菜津葉さん、小椋奈々さんが、華麗なパフォーマンスを繰り広げます。
舞やダンスという視覚芸術が舞台上で音楽とどのようにコラボするのかも見ものです。
第2部では、パワフルなパーカッション演奏で話題の荒川“B¢哉さんが登場し、高山ゆかりの「めでた」をラテンアレンジして披露。
吹奏楽も、「ルパン三世80」などポップス系の曲が演奏されます。
 そんな斬新な演奏会に向けて、楽団メンバーは、休日や夜などの時間をやりくりして練習に励んでいます。
入団3年目で、50周年記念演奏会の実行委員長を務める田中遼さんは、「学生時代から市民吹奏楽団の演奏のかっこ良さに憧れていました。
音がスイングする感じがすごくいいので、そんなところも楽しんでいただけたら」とアピール。
「先輩たちが積み重ねてこられた演奏の魅力を受け継ぎつつ、さらに新しい音色もプラスして、音色に50年、60年の歴史がにじみ出るような、音を作れたらいいなと思います。
そうやって、この楽団をずっと先に伝えていけるよう頑張ります」と未来への意気込みを語りました。「
自分も楽しみ、地域の方たちにも喜んでいただけるような活動ができたらいいなと思います。
この楽団は、本当に皆さん音楽が好きで、演奏から気もちが伝わってくる気がします。
そんな風に気持ちが伝わる音色をつくっていけたら」と話すのは、一年前に入団した石神莉緒さん。
若い世代を見守る兄貴世代の谷口将騎さんは、「これまで先輩方が築き上げて私たちに与えてくださったものを、これから、若い人たちに、どう還元していくのかが課題です。今の中高生世代の人たちが、ここで頑張る私たちを見て、いつか、高山市民吹奏楽団に入ろうと思ってくれたらうれしいです。
そんな存在になれるように、みんなで頑張っていきます」と語りました。
 巾広い年代が一つにまとまって、楽しげにハイレベルな音楽を奏でる高山市民吹奏楽団。
その音色は、50周年を超え、さらに豊かさを増して、続いていくことでしょう。

ヤン・ヴァンデルロースト氏より
「高山市民吹奏楽団50周年記念委嘱作品について」



▲高山市民吹奏楽団 
ヤン・ヴァンデルロースト氏のレッスン

 

 

「TAKAYAMA IMPRESSIONS」の作曲依頼を受け、単に日本を映した作品を作るのではなく、高山にふさわしい唯一無二のものを作りたいと考えました。
高山には10回ほど訪問していますので、高山の空気を吸い、自然を感じ、街に佇み、伝統文化に触れ、地元の人と接し、食を楽しみ、五感で感じたことのすべてを思い起こしていきました。
高山祭のイメージもそれらのモチーフとして織り込み、ヨーロッパの音楽と合せて美しい調和を生み出しました。
西洋の楽器をベースに、和楽器の使用も可能なように気を配りながら、古くから和の音階として用いられてきたペンタトニック(5音階)を、日本のフレイバーとして組み込んでいます。
この曲が、東京や京都など多くの人に知られた大都会ではなく、高山からの敬意とおもてなしをこめたGREETING(ご挨拶)になればと思っています。

 

ヤン・ヴァンデルロースト氏と高山市民吹奏楽団との出会いは、2004年、ヤン・ヴァンデルロースト&名芸ウインドオーケストラ高山公演での共催。
2010年2月14日飛騨センターでおこなわれたバレンタイン・コンサートでは、同氏の指揮で「モンタニャールの詩」など同氏の曲を演奏しました。2016年の飛騨高山文化芸術祭こだま〜れでは、同氏の作品「FLAME AND GLORY」などを同氏の指揮で演奏しています。

Monsieur Jan Van der Roost
ヤン・ヴァンデルロースト氏
1956年 ベルギー生まれ
吹奏楽やブラスバンド作品を中心に世界的に高名な作曲家。
現在、レメンス音楽院(ベルギー)名誉教授、名古屋芸術大学名誉教授、洗足学園音楽大学客員教授も務める




ページトップに戻る

COPYRIGHT(C) SARUBOBO CLUB 2003 ALLRIGHT RESERVED