飛騨・世界生活文化センターオリジナルミュージカル公演は、 今年で第10回。
2009年の初回公演から10年が経過し、出演者たちも着実に 成長してきた。
ミュージカルと一緒に歩み続けた年月は、出演者たちの何を どう変えたのだろうか?

たくさんの人に支えられて今ここにいます


各務綾香さん
(中学校教諭/10回出演)








高2で初参加、関市から10年通い続ける 中学校教諭

 高2で初回公演に参加して以来、毎年出演し続けている各務さん。
ミュージカルの練習が始まると、週末毎に関市から高山へ通う生活も10年目になった。
当初から関市在住ながら、高山に母親の実家があったため、「1回だけ」と軽い気持ちで参加し、今に至っている。
「2年目は大学受験と重なるので無理と思っていましたが、たまたま関市でも公演が行われることが決まり、出ないわけにはいかないという気になってしまって。縁ですね」と不思議がる。
 その年、役名のあるキャストは大半が名古屋芸術大学の学生で占められていたが、なぜか『ピーターパン』のウェンディ役に抜擢された。
「これは大変と頑張りました。
結局、なんとかなったわけですが、あの18歳の冬は、すごく濃い時間を過ごしたと思います。
やってよかった」とふり返る。
当時、高山に来たら集中して練習し、往復の電車やバスの中では受験勉強をした。
「限られた時間内にどうにかしなきゃいけない生活は、その頃も今も同じ。
集中して物事をパッと切り替える術が身についた気がします。
今は教師をしていますが、時間割毎に違う授業をすることにも役立っているかもしれません」。

 各務さんは、ミュージカルと大学受験を両立させ、大学入学後も、卒業して仕事に就いてからも、ミュージカルを続けてきた。
大学時代の教育実習も練習時期と重なったため、休まざるを得ない日もあったが、「次に行ったときにみんなに教えてもらい、見よう見まねで覚えました。
なんとかなるものです」と明るい。
2年目を乗り越えてから、たいていのことは「なんとかなる」と思えるようになった。
教師になってからもそんな感覚で、毎年ミュージカルに参加できている。
 「まわりの方たちに支えてもらえているからこそだと思います。
ここの仲間にも、職場の先生方や生徒、父兄の方々にも、理解・協力していただいて、ありがたいです。
私はどこにいても、周囲にはきっといろんな人がいて助けてくれる、頼ればいいと思ってしまいます。それはもしかしたら、みんなと一緒にミュージカルをつくるなかで、相当な人が関わっていることを見たり、舞台ではまわりの人の動きやせりふに導かれ助けられて、自分が存在するという経験をしてきたせいかもしれません。
私はあがり症で本番前はドキドキなんですが、まわりにいる仲間を見ると少し落ちついて、なんとか頑張れます。
誰かと一緒にいると思えると、心強いのです」。

 教師として小学校で3年間勤務し、1年前に中学校に異動。
バスケット部の顧問にもなったため、週末がふさがることも多く、高山通いは大変だ。
それでもスケジュールをやりくりし、可能な限り練習に参加する。
「ここに来ると自分も大勢の中の1人で、教えられる側になります。
日常とは異なり、肩の荷を下ろして好きなことに打ち込める時間は、楽しくて幸せ。 高山でミュージカルの練習ができるとリフレッシュして、また月曜日から頑張れます」と声を弾ませる。
ミュージカルのメンバーは年齢も多彩で、小・中・高校生や子育て中の母親もいる。
いろいろな人との会話が、自分の学校の生徒や父兄の気持ちを理解するヒントになることも少なくない。
 「私はこの空間や仲間が好き。 役に関係なく、このミュージカルに出られればいいんです。 10年経って、ダンスの覚えが悪くなったと痛感するこの頃ですが、せっかくここまでやってきたので、これからもできる限り続けます。 どんな形であれ、関わっていきたい」ときっぱり。
そして「第10回公演には、これまでこのミュージカルに関わった人、卒業していった人の思いが詰まっています。 だから、その人たちの分まで頑張ります」と、力を込めた。

ミュージカル仲間はライバルだけど友だち以上


小林優奈さん
(専門学校2年生/8回出演)




幼い頃からダンス好き。進路を決めたミュージカル経験

 小5から高3まで初回から8回出演し、ダンス専門学校に進学。
名古屋生活になったため、昨年から参加を断念した。
今は卒業制作展に向け猛練習中。「
帰ってきてみんなに会うと、一緒に踊りたくてたまりません。
このミュージカル仲間はライバルでもあったけれど、友だち以上。
チームワークや協調性など、大切なものもたくさん学びました」。
保育園の頃、クラシックバレエを習った経験があった小林さんは、幼い頃からダンス好き。
「最初は自分が楽しみたいだけでしたが、名芸大のお姉さんたちを見て憧れを持ち、さらに役や選ばれることへの欲が出ました。
中学の頃もずっと続けて、将来この道に進もうと決心。
迷ったのは名芸大かダンスかの選択だけ」とミュージカルと歩んだ時をふり返る。
結局ダンスを選び、高校の進路相談ではいろいろとアドバイスを受けたが、「私、行きます」とスパッと決断。
家族も「やりたいことなら」と応援してくれた。 「8年間の練習も、いつも母が送迎してくれました。 感謝しています」と微笑む。 
 今年新成人となり春からは社会人。
名古屋で子どもたちにダンスを教えるインストラクターの仕事が内定しているが、米国でのレッスンや、ゆずなど有名アーティストのコンサートでバックダンサーを務めた経験から、ダンサーとして輝きたいという大きな夢も持っている。
「これからもずっとダンスをやって生きていきます」と、声を弾ませた。

舞台で輝きたいだから練習し続けます


岩田沙樹さん
(高校1年生/8回出演)




目標は名芸大進学。壁を乗り越え夢に向かって

 

小3のとき、母親に連れられ「なんとなく」第3回公演に初参加。
「経験もなく、周囲とレベルが違い過ぎて練習するしかありませんでした。本番の舞台が楽しかったので翌年も参加しましたが、選抜に呼ばれず、悔しかったです。
参加3年目に初めて役をいただき、はまった感じ」とふり返る。
「頑張れば役をもらえるかも」という手応えは、4年目、小6で主役に抜擢されたことで確信になり、「練習量では誰にも負けない」と、毎日家でダンスの練習をした。
 中学ではミュージカルに参加しやすいように、部活は個人競技中心の陸上部に所属。
熱心に練習を続けたが、中1の時、新たに課された歌で壁に直面、中2の時は欲しかった役をもらえず、悩んだ。
そんな状態から抜け出させてくれたのは、本番後、関係者からかけられた「舞台で光っていたよ」という言葉。
「主役じゃなくても、舞台に立てて輝ければいいと、こだわりが無くなりました」と笑う。
受験のため当初は中2までと思っていたが、結局翌年も参加。
学校・塾・ミュージカルのハードスケジュールをやりきった。
「全体リハーサルの翌日が高校の入学試験。
両方とも中途半端で当時が一番の闇でした。
やっぱり歌がダメで、相当焦っていたんですが、周りの方々の指導のお陰で本番はクリア。
高校にも合格し、自分でもよく頑張ったと思います」。
 大変な時期を乗り越え、高校生になってからはますますミュージカル中心の生活に。
「受験も終わったのでしっかり練習できるようになりました。
まだまだ、上のお姉さんたちとは差があるので頑張らないと。
自分自身がそうだったから、うまくなりたいと思っている後輩の人たちも、ちゃんと教えてあげられるようになりたいし課題だらけです。
将来は名芸大に進学してミュージカルを専攻するか、基礎からダンスを学ぶか考え中。
いずれにしても、このミュージカルと出会わなかったら、今の私はいません」と言い切った。




名古屋芸術大学 学長
竹本義明さん


飛騨・童話会議を通じて深まる
市民×文化施設×大学の連携

名古屋芸術大学が高山市との連携事業に取り組んで10周年を迎えます。
市民の皆さまにミュージカル公演を上演するだけでなく、子どもたちにミュージカルの楽しさを感じてもらい、実際にステージに立てるよう指導を行ってきました。
高山市には複数の公共文化施設があり、ホールには市民交流効果や集客効果により観光に資する役割が認められています。
大学が第3の使命としての社会貢献に取り組む中で、文化施設との連携でそれぞれの目的を実現することができています。
今後も「飛騨・童話会議」を通じて連携が深まるよう願っています。



名古屋芸術大学 特任教授
森泉博行さん(脚本・演出)


情熱と希望の配達人たちが導いた奇跡の10年

それは、ある劇場でのことでした。
突然、訪ねて来られた飛騨コンソーシアムの方が、唐突にこう切り出しました。
「高山でオリジナルミュージカルを創ります!」。
この衝撃の一言が奇跡の始まり・・・、そして10年。
確かに情熱は必要でした。
しかし情熱だけでは続きません。
それは、高山市に数多くの希望の配達人がいたからです。
岐阜県や高山市、高山市民吹奏楽団、飛騨コンソーシアムの皆さまが未来を創る子どもたちのために最高の環境を整えてくれたからなのです。



名古屋芸術大学 学院広報室 室長
金子靖さん


これからも地域の皆さんと
国内でも注目される飛騨・童話会議に

 

10年続けられたのは、この事業の中核を担う飛騨コンソーシアムの皆さん、音楽で地域をまとめた高山市民吹奏楽団の皆さん、何より出演者のたゆみない努力と、支えてくださったご家族のおかげです。
また、プロになる!というOBが出てきたこと、飛騨にミュージカルが根付いてきたことに感動しています。
私も名古屋芸術大学側のプロデューサーの立場で関われたことを、心から感謝しています。
この先、国内でも注目される「飛騨・童話会議」となるよう、地域の皆さんと頑張りたいと思います。



高山市長
國島芳明さん


飛騨の地に根付いた市民ミュージカル
今年の舞台に乞うご期待!

飛騨センターオリジナルミュージカル公演が、記念すべき第10回目を迎えられましたこと、誠におめでとうございます。
第1回目から名古屋芸術大学の全面的なご指導・ご協力をいただき、総合的な文化芸術である市民ミュージカルが飛騨の地にしっかりと根付いてきたことを大変うれしく思っております。
子どもたちが半年間にわたって懸命に練習してきた歌・ダンス・演技、そして名古屋芸術大学の方々や高山市民吹奏楽団の皆さまも一緒になって創り上げる感動の舞台を、今年も楽しみにしています。
今回の公演は、高山市民文化会館大ホールにおいて開催されますので、皆さまぜひお出かけください。



名古屋芸術大学 教授
竹内雅一さん(音楽総監督)


今では市民主導となった演奏に拍手喝采を!

このミュージカルが始まったころの音楽担当(バンド)は、多くの地元の中高生も参加していただいていましたが、核となる部分は名古屋芸術大学側ですべて取り揃えておりました。
「飛騨・童話会議」の名にふさわしく市民主導型のミュージカルにスイッチすべく、今は、大学側はサポートに回り、高山市民吹奏楽団のメンバーが中心となり演奏を担っています。
メーンキャストの子どもたちにはもちろんのこと、多少スリリングなバンドにも声援をよろしくお願いいたします。



高山市民吹奏楽団 理事長
大萱真紀人さん


みんなを夢の世界に誘う ミュージカルに成長

立ち上げから関わらせていただいた「飛騨・童話会議」が10回を迎える…。
感慨深いものがあります。
高山市民吹奏楽団として演奏に加わり、毎回子どもたちの底知れぬパワーに圧倒されてきました。
われわれを含め、参加者、観客の皆さんが「夢」を感じられる、そんなミュージカルに成長してきたと思います。
これも飛騨センター統括の六角さんをはじめとするスタッフの皆さま、森泉教授を中心とする名古屋芸術大学の皆さまのご尽力の賜と、心より感謝をいたします。



飛騨・世界生活文化センター
企画部部長 
森清美 さん


全力を注いで創り上げる充実感!
私たちと一緒に演じてみませんか?

2008年、高山で市民参加型のミュージカルをやりたいと名古屋芸術大学にお願いをして、実現した飛騨センターオリジナルミュージカル。
ミュージカルとは無縁の一般市民に“ダンス・歌・演技”をイチから根気よく指導していただき、10回目の公演を迎えることができることに感謝いたします。
また、地元行政を始め、多くの皆さまの応援があったからこそ継続することができた「飛騨・童話会議」です。
1回目〜9回目までは、飛騨センターの体育館のようなコンベンションホールを、1日限りの最高のミュージカル舞台に様変わりさせて、一般地域住民がすばらしい演出の中で演じる舞台は、多くの感動がありました。
半年間かけて行う練習は、ひとつの舞台を創り上げるために全力を注ぐ充実した時間となります。
これから、まだまだ進化し続ける飛騨センターオリジナルミュージカル。
ぜひ、皆さまのご参加をお待ちいたしております!


ミュージカルの未来 果てしなき道


六角裕治
飛騨・世界生活文化センター
飛騨コンソーシアム 統括
/エグゼクティブプロデューサー
名古屋芸術大学特別客員教授


 2008年5月、飛騨センターの視察を兼ねて、市民ミュージカルの企画内容を一度しっかり聞こうという会議が開催されました。
気まずく、張り詰めた空気の中で始まった会議の最初の質問は「何をやりたいの〜」といったきつい内容からでした。
森泉博行教授、竹内雅一教授、客員教授だった元ザ・スパイダースの井上堯之先生、同じく日本の舞台美術の第一人者だった三原康博先生、高山市出身で交渉の窓口となっていただいていた広報室の金子靖さん、そして、数人の講師の先生、東京の舞台監督…お歴々が参加された会議でした。
 長時間の会議の結論は「大学に市民参加の事業をやりたいと言ってきている地域は多いけれど、飛騨地域は他と少し違うようなので一回だけやってみよう」ということでした。
それが、2年、3年、10年と続き、一種の奇跡と呼ばれるようになりました。

最初の3年間は名古屋芸術大学ミュージカルコースの在学生と卒業生がキャストを務めたものの、4年目の「飛騨・童話会議U」からは、飛騨地域の参加者が主要キャストを担当し、名古屋芸術大学の出演者は、バックアップの立場に変わってくださいました。
 10年間の時の流れ。
幼子で出演していた子が少女になり、女性に成長しました。
そしてその中から、舞台の世界を目指す人や名古屋芸術大学を目指す人などが複数人誕生してきました。
 そして、10年目の節目。
いま立ち止まるべきか進むべきか、さまざまな思いが交錯しています。
継続性の大事さとマンネリとの戦い、夢を追う出演者の思い、プロデューサーをはじめ一部スタッフの体力低下、受験や進学による出演者の入れ替わり…。
たぶん、そのような中でも、夢を追っている少年少女たちのことを、また、毎年公演を楽しみにしてくださっている地域のファンの方々のことなどを考えると「果てしなき道」を選択することになるでしょう。
もう、飛騨センターオリジナルミュージカルは、飛騨センターの企画事業から逸脱してしまい、地域に定着した事業になってしまいました。
 11回目からは「飛騨・童話会議V」に突入します。
毎回アレンジは加わると思いますが、「飛騨・童話会議V」といえばあの物語と言われるように、同じ作品が数年間は公演されます。
そうなると次こそは、あの役をやってみたいと出演者が競い合うことも起こるはずです。名古屋芸術大学の学生も含めた若い運営スタッフによる、新たなアイデアも盛り込まれると思います。
オリジナルミュージカル以外のステージにも立てるセミプロ集団の「飛騨ミュージカル・カンパニー」も設立されるかもしれません。
第10回記念公演とともに、「飛騨・童話会議V」への進化にもご期待ください。
 最後に、第10回記念公演にあたり、日頃より飛騨センターオリジナルミュージカルを応援していただいている地域の皆さま、行政の皆さま、さらには、長年にわたりご指導をくださっている名古屋芸術大学の皆さま、演奏をご担当していただいている高山市民吹奏楽団の皆さま、そして、全ての関係者の方々に厚く御礼申し上げます。



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