特集 飛騨高山の日本遺産を巡ろう ─国府編─
古代から中世の歴史遺産の宝庫
そうや、飛騨国府に行こう


文化庁より、「飛騨匠のストーリー」が日本遺産に認定されたのは一昨年の春。
今号では、まだまだ知られていない飛騨高山の日本遺産について
お伝えするとともに、古代の遺跡や、中世の貴重な建造物が
集まる国府エリアにスポットを当て、初夏のおでかけにも楽しめる
日本遺産ゆかりの地をピックアップしてご紹介します。


知っておきたい飛騨高山の日本遺産 飛騨工制度と匠のあゆみ


▲飛騨匠が歩いた道


▲平城京正門「朱雀門」

 


▲飛騨国分寺 三重塔と大イチョウ


▲日下部家住宅と吉島家住宅


▲高山祭屋台(大国台)


 日本遺産は文化庁が認定するもので、日本各地の文化財をその地域の歴史や特色をふまえた「物語=ストーリー」で結び付け、地域全体の魅力をアップして活性化をはかる制度です。
飛騨高山の日本遺産のテーマは、『飛騨匠の技・こころ─木とともに、今に引き継ぐ千三百年─』。1300年前から現在につながる飛騨匠の物語とは、どのようなものなのでしょうか。
 奈良・平安の時代、国は米や物品などの税の代わりに、飛騨の木工技術者を都に呼び寄せる「飛騨工制度」を設けました。
これは飛騨に施行された全国唯一のもの。
その頃の飛騨に宮殿や寺院を造れるほどの高い技術があったとも考えられます。
実際、飛騨には国府から古川盆地を中心に10か寺以上も古代寺院が所在したと考えられています。鎌倉時代に入り、古代律令制度が終わるまでの約500年間、飛騨から都に行った匠はのべ4〜5万人。
務めを終えた匠たちは飛騨に先端技術を持ち帰り、ますます優れた木工の技や精神が蓄積されていったというわけです。
その後、南北朝時代や室町時代には、国府地域に荒城神社や安国寺経蔵など、良材を使った精巧な建造物が建立されました。
旧高山地域では照蓮寺本堂(旧荘川村から移築)、国分寺本堂が室町時代の建築として当時の優れた技を伝えています。
 高山城は安土桃山時代から江戸時代初期にかけて、飛騨匠たちが建てた名城とされていますが、飛騨国が幕府の直轄領となったことで取り壊されることとなりました。
しかしその前に城内の建物の一部は市内各所に移築され、現在も神社や寺、高山陣屋などに残されています。
江戸時代に入ってからは「水間一門」、「松田一門」と呼ばれる大工の系譜が活躍。
たくさんの寺社建築を手がけ、明治時代には日下部住宅や吉島家住宅など美しい町家建築も残しました。そして木を生かす技の集大成として花開いたのが、高山の祭屋台。
大工、彫刻、漆、箔、錺、からくり、鍛冶、染織と飛騨匠の技術を総動員して作られた傑作です。
現代もその技術は継承され、飛騨春慶、一位一刀彫、有道杓子などといった工芸品や家具作りにも生かされています。
 こうした飛騨ならではのストーリーが日本の財産として評価され、日本遺産の認定に繋がりました。
日本遺産を構成する文化財は高山の市街地にも数多くありますが、今回は古代から中世の貴重な文化財が残る、国府町を巡ってみましょう!


曲線を描く屋根が優美 : 荒城神社 本殿


▲荒城神社 本殿



▲荒城神社 拝殿
 本殿はこの拝殿の後方にあります



▲荒城神社 入り口



高山市国府町宮地1405-1

 

 荒城神社は宮地地区にあり、本殿と拝殿、末社四社などが建っています。
境内には縄文時代中期の遺跡もあり、平安時代の全国神社一覧『延喜式神名帳』(927年)に、飛騨国式内八社の一つとして記載されていることから、歴史の古さがうかがえます。ご祭神は荒城宮・河泊大明神という水の神とされ、現在は国府町宮地・東門前地区の産土神(生まれた土地の守り神)として地元の信仰を集めています。
 国指定重要文化財の本殿は明徳元年(1390)の再建と伝えられ、正面は柱の間が三つあり、屋根前面の流れが長く延びて向拝となる三間社流造で、屋根は柿板葺き。
数度の修理を経て今に至り、江戸時代の修理・葺替えの際の棟札(建物の施主や建築者、由緒などを記した札)七枚も現存。
正面中央は抜戸、左右は地蔵格子、側面は縦羽目板壁で、母屋の円柱の上には桁と軒を支える舟形の横木、舟肘木を設置。
向拝正面中央には上部を支え装飾にもなる蟇股を使うなど、古い形式が飛騨匠の技を今に伝えています。
 建物以外にも、平安時代前期の作と推定される神像やおともの随身、応永19年(1412)銘の鰐口(神社や寺院の堂前、軒先に掛ける鳴らし物)、鎌倉時代の楽士「多好方」が伝えたとされる舞楽面、寄木造りの狛犬など、文化財が数多く残され、まさに伝統の技の宝庫。
拝殿前には樹齢400年と推定される幹周5.1mの「前立杉」がそびえ、ご神木として地域を見守っています。

飛騨唯一の国宝建造物 : 太平山安国寺 経蔵

▲太平山安国寺 経蔵


▲経蔵内部の輪蔵
安国寺住職の堀英信さん




 





高山市国府町西門前474
拝観料 500円(要予約)

 

 室町時代、幕府を開いた足利尊氏・直義兄弟は、国土の安寧を願って諸国の要所に安国寺を設けました。
飛騨では安国寺が、ここに以前からあった少林寺の名を改め、京都南禅寺より瑞巌和尚を開山として迎え、貞和3年(1347)に設立され栄えていきました。
しかし永禄7年(1564)、伽藍と九か寺の塔頭(境内にある末寺院)が兵火にかかり、経蔵と開山堂を除いて焼失しました。
 経蔵は飛騨唯一の国宝建造物です。
建立されたのは室町時代の初期、応永15年(1408)。
屋根は薄板のこけら葺、二階建てのように見えますが、一階に見える部分は裳階といい、四方に庇がついたもので、禅宗様の建築で多くみられます。
裳階の上部には弓欄間が一周し、仏教の波が広がるさまを表すといいます。
そして経蔵に納められているのが八角輪蔵。
日本に現存する最古の輪蔵(回転書架)で、中心に設けられた1本の軸のみでバランスがとられ、壮大な輪蔵が600年経った今でもなめらかな回転を見せます。
良材を使った精巧な造り、匠の技が長い時を経て証明されているのです。
装飾もすばらしく、輪蔵の外側と中側に設けられた欄間は、八角の面ごとに違った彫りが施され、月と松、桜や椿など、美しい彩色の残る部分もあり、中国様式の華やかな造りを見ることができます。
 輪蔵に納められているのは、木版の大蔵経。
日本に残る元版大蔵経10セットのうちのひとつで、県の重要文化財です。
安国寺住職の堀英信さんは「この元版大蔵経は中国の杭州、大普寧寺で至元の時代に編纂されたものです。
安国寺の塔頭、南陽軒の主であった本源一公都寺禅師が、命がけで中国に渡り3年もの年月をかけて求めてきました。
当時は5397巻(現在は2200巻)ありましたが、一日一冊の経本を読むとすると15年近くもかかる計算になります。
しかし、この輪蔵を一回転させると納められた経典全てを読んだと同じ功徳があるといわれ、読み書きもままならない当時の人々にとっては大きな救いになったのではないでしょうか」と思いを馳せます。
国の宝を目近で拝観できる、ぜひ訪れてほしい一押しのスポットです。


飛騨の寺社建築の流れを示す : 熊野神社 本殿


▲熊野神社(覆屋)


▲熊野神社 本殿


高山市国府町西門前521
※本殿は普段は一般公開されていません。


 熊野神社は太平山安国寺の北側にあり、国指定の重要文化財である本殿は、覆屋に収められています。
室町時代の前期に建立され、江戸時代になって安国寺の鎮守「熊野三所大権現」を、西門前村の願いにより村の産土神としたという記述が残されています。
 本殿の桁行(長手方向)は183p、梁間(短手方向)は庇とも107p。
正面の柱の間がひとつで屋根前面が長く延び、シンプルな構造の一間社流見世棚造です。
向拝の柱上には向き合った木鼻(柱をつなぐ横木が突き出た部分で、多くは装飾が施される)を配するなど、細部に優れた技法があります。
屋根のこけら葺きは古いものが残り、古式の納まりが見られます。


良材を生かした精巧な造り : 阿多由太神社 本殿


▲阿多由太神社 本殿


高山市国府町木曽垣内1023
※本殿は普段は一般公開されていません。

 

 『延喜式神名帳』に記された飛騨国式内八社の一つとされ古くから広く崇敬を集め、現在では木曽垣内・三日町・半田の産土神となっています。
国指定重要文化財の本殿は、今は覆殿の中に収められていますが、三間社流見世棚造の柿板葺きで、室町時代後期の建築です。
三間それぞれに扉が付き、中央には主神の大歳御祖神、右に熊野大神、左に阿須波乃大神が鎮座。
今も残る当時の部材には、木目の緻密なサワラなどの良材が多く、その頃の飛騨の森林資源の豊かさをうかがわせます。
各部の意匠は室町時代の特徴をよく示しており、簡素ながら素朴で優雅な形態と、彩色を施さず良材の美と強さを生かした精巧な造りに、飛騨匠の技と感性が結晶。
飛騨の中世文化を物語る貴重な遺産です。
本殿両脇の随身座像一対は県内に現存する最古のものと言われています。


古代寺院の歴史を伝える : 石橋廃寺塔心礎


▲石橋廃寺塔心礎



▲広瀬古墳の隣に設置


高山市国府町広瀬町328

 

国府地域では古代寺院に関わる多くの遺物が見つかっており、広瀬町桜野にあった石橋廃寺は、その一つです。
奈良時代前期の寺院で、正確な位置や規模、建物配置などは不明ですが、瓦類が出土し、五重塔や三重塔などの中心柱の礎石である塔心礎が、広瀬町の旧家、岡村邸の庭石となって残っていました。
昭和63年(1988)、この塔芯礎は町に寄贈され、広瀬古墳近くに移されて、昭和58年(1983)、国府町指定文化財となりました。
長径1.2m、短径0.8mの平らな柱座には、中央に直径27p、深さ9.5pの穴が開けられ、かつて、そこに立派な柱が立っていたことがわかります。
飛騨にあった多くの古代寺院は、都との関係を示すもので、飛騨工制度成立の背景になったと考えられています。

都と飛騨の繋がりを示す : 光寿庵跡 出土瓦


▲光寿庵跡のふもとにある案内


▲光寿庵跡 出土瓦(諏訪神社所蔵)


高山市国府町上広瀬町

 

 諏訪神社裏の山中にある光寿庵跡も古代寺院の跡で、石橋廃寺跡から1.5qほど、宮川上流に位置します。
付近からは軒丸瓦・軒平瓦・平瓦が見つかっており、軒平瓦は、四重重弧文という弧を重ねた文様。
石橋廃寺跡から出土した軒平瓦と同じように、奈良時代のものと推定されています。
平瓦には膝をつく男性などが描かれた人物戯画瓦と、鳥と鳥かごを描いた絵瓦があり、いずれも県の重要文化財に指定されています。
人物戯画瓦は、都で働く官人を描いたものと考えられ、その服装などから、当時の都の人々の様子をうかがうことができます。
飛騨と都がつながっていたことを物語る貴重な資料です。

飛騨・世界生活文化センター ミュージアム飛騨


古代から現代に続く「飛騨匠」の歴史が、貴重な資料とともに詳しく紹介されています。

高山市千島町900-1
料金:
●大人(高校生以上)500円 ・ 市民 300円 ※飛騨3市1村在住者・在勤者
●小・中学生  200円  市民 100円※飛騨3市1村在住者




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